『僕の妻はエイリアン 「高機能自閉症」との不思議な結婚生活』は、自閉症スペクトラムの『妻』さんと、理工系技術者でスポーツマンの『夫』さんとの波乱万丈(?)な結婚生活の記録のような本です。
ネタバレするといけないので、今回のご紹介は短くいきます!

泉ご夫婦の軋轢の内容やきっかけなどは、我が家とほぼ同じ感じですし、我が家でQさんが自閉症スペクトラム者だとわかるのに10年ほどかかったように、泉さんご夫妻も8年ほどは、『???』の状態で過ごされたことも似ているなーと思いました。
そして、(この本を書かれた時点で)、『妻』さんが自閉症スペクトラム者だとわかって(ご自分で突き止めて)から、2年ほどだということも、今の我が家と同じ(約二年弱)で、そんなご夫妻が『上手くやっている』という本を読むのは、とても心強く、希望が持てました。


さて、
・『妻』さんよりもQさんのほうがより定型発達に近い
・当事者が『夫』ではなく『妻』
・お子さんがいない
という点が、泉家と我が家と大きく違うところです。

このご夫婦のような“物が飛び交うような”派手なケンカは、我が家では子供が生まれる前はありませんでした。
子供が生まれるまでは共働きということでいっしょにいる時間が少なかったせいもあると思いますし、スペクトラム上で、『妻』さんの方がQさんよりより色濃い(特徴の強い)位置にあるからなのかもしれませんが、このご夫婦よりも随分と平和に暮らしていました。(もちろん言い争いはしょっちゅうでしたが…)
ですが、このご夫婦の過去のいさかいが激しかったころの話と、子供が生まれてからの我が家の状況は、『おんなじー』という感じです。



自閉症スペクトラム上にいる方との生活がどのようなものであるのかということは、この本でとてもよくわかると思いますので(ちょっと重複記述が多いので読みづらいかもしれませんが、その分強調されている部分が大切な部分であるということがよくわかります)ぜひぜひ、手にとって読んでいただきたいと思います。
それに、この本は、当事者のかたとの結婚生活がどのようなものであるかに限ったことではなく、『自閉症スペクトラムとはどんな状態を指すのか』という説明本としても、読みやすくわかりやすく、とっても素晴らしいと思います。



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本のご紹介はこれくらいにして、あとは思いっきり私的な感想を『つづき』で書かせていただきます。




僕の妻はエイリアン 「高機能自閉症」との不思議な結婚生活 / 泉流星 / 新潮文庫【中古】afb
僕の妻はエイリアン 「高機能自閉症」との不思議な結婚生活 / 泉流星 / 新潮文庫【中古】afb


つくづく感じたのは、性格や行動の記述だけ読むと、私は泉『夫』さんではなく、『妻』さんにむしろそっくりである、ということ。
ですから、私は本を読んでいる間中、『夫』さんではなく、『妻』さんに同調していました。
でも、私が自閉症スペクトラム者でないのは、『全体のバランス』が取れているからなのだというのも、本を読んでいて良くわかりました。
私は偏った性格かもしれないけれど、同方向に(『変』といわれる方向に)すべての能力が偏っていつつ、言語能力も動作能力も図形などの能力もすべてつりあってバランスよくまとまっているのだと思いました。
一方、一見『できるビジネスマン』に見えるQさんは、『できるビジネスマン』の部分と、動作などの能力との差が極端に激しく、バランスが取れていないし、本の記述をお借りすれば
『ボコッと抜け落ちている部分』
がいくつもあります。
その『ボコッ』の部分の激しさを除けば、我が家ではQさんのほうがよっぽど『変じゃない』人です。(温厚で感情の波が少ないし)
『ボコッ』がいくつかあるというだけで、QさんはこんなにもQさんなのだと、決して埋めることのできない溝がまさに『ボコッ』とふたりの間に開いているのだと、改めて感じさせられました。
(ただし埋められない溝ですが、私はこの溝に『橋』をかけることは可能だと思っています。)

で、その『妻』さんのがんばりのすごさに、私は感動したとともに、『妻』さんの諦めない気持ち・がんばりを『夫』さんが認めてくれているのに癒されました。
私も泉『夫』さんのような、認めてくれる人がいればいいのに…。



それはさておきもうひとつ、この本を読んだことで私は今までずっと抱き続けていた大きな謎を解くことができました。
直接的にこの本に私の謎の答えが書いてあったわけではありません。
『妻』さんの、すさまじいまでのがんばりに感動していたら、ハッと天啓に触れたように気がついたのです。

ブログを始めてからたくさんの当事者の方が私の拙い文章にお付き合いくださり、貴重なご意見を本当にたくさんくださったので、その方たちと、Qさんの姿勢のあまりの違いに私は随分と歯がゆい思いをしてきました。
みなさん、本当にご苦労されてきて、さらにご自分でも『妻』さんのように想像を絶する努力をなさっている方たちばかり…

なのに、どうしてQさんは医師に何といわれようと、心理士さんにどう指導されようと、私があの手この手とどのような工夫をしても、いっこうに自覚をもって自らほんのちょっとでも(こちらのがんばりの何百分の一かでも)歩み寄ろうとしてくれないのかなぁ
(正確に言うと、一瞬は歩み寄ろうと努力してくれるのですが、3日と続かない…)

その答えがわかったのです。
『妻』さんもその他コメントをくださった方も、みなさんご自分と周囲とのズレを感じてこられた方ばかり。そして、そのズレをなんとかしたいと工夫や努力されてきた方ばかり。
ところが、掲示板でおつれあいのことを嘆かれている方たちのおつれあいやQさんは、ズレを感じていない(ズレを感じる能力が抜け落ちてしまっている?)か、感じていてもズレているのは自分ではなくまわりのほうだと、今までの人生でズレを改善する必要性を認めてこなかった方たちなのだと気がついたのです。

たとえば、Qさんの場合、Qハハがその考えの基を作ってしまったのだと思いますが、
「すっごく頭がいいから、みんなからねたまれていじめられたり仲間はずれにされるのだ」
「悪いのは、頭のいいQさんではなく、Qさんの頭の良さについてこれないまわりのほうなのだ」
という考えです。
幼稚園や小学校低学年時の話をQハハに聞き取りした時に、トラブルの話を聞きましたが、その原因は理路整然とすべて先生とまわりの子供たちに押し付けられていました。
そして、話の締めくくりは、その前に散々トラブルの話をしたにもかかわらず、
「ケンカも一回もしたこともないし、幼稚園や小学校時代にトラブルはいっさいなかった」
と、毎回同じでした。

Qさんは、そんなQハハの話を、子供に期待しすぎる母の『ファンタジー』だから聞き流せといっていましたが、ずっと「頭がよかったから」が口癖になっていて、どんな話をしているときでも、最期にはこの口癖を持ち出さなければいられないQハハに育てられたのですから、おそらく心のどこかでやはりそういう気持ちが植えつけられてしまったのではないでしょうか。

ですから、とても幸せなことだったと思いますが、ズレているという感覚が自分にとってのマイナス感覚とはならず、今まで二次障害もなく(Qさんの精神的には)平穏にこれたのだと思います。
苦しみながら成長された方はみな、自分はみんなからズレている、と感じて、上手くいかないのは理由はわからずとも、とにかく自分のせいだと、ご自分をマイナス評価してこられたようです。そして、何とかしようと工夫され、もがきながら成長なさった。
ところが、一方では、そのズレを周りのものとし、工夫の必要も努力の必要も感じることなく成人された方々もいる。
成人してから診断がついた方の中で、ご自分からお医者様を探されたかたと、我が家のように同居するものが音を上げて、引きずるように病院に行ってもらった方とでは、その受け取り方も180度違うのだと思います。
診断がついて今までのことが自分のせいではないとわかり、ホッとした
という当事者の方もいれば、Qさんのようにいつまでもなんだかよくわからない、ピンとこないという方もいるのは、こういうわけだったのだと思います。

この考えは、前々から私の中にあって、ブログに書いたこともあったのですが、この本を読んで、『妻』さんに同調し、『妻』さんの体験を実感として、より現実味のある感覚として自分のことのように感じられたことにより、逆に正反対のQさんのことも、実感として理解できたような感覚になることができました。
この感覚は、幻かもしれませんが、Qさんを理解するうえで大切なことだと思ったので、忘れないようにここに書き留めさせていただきました。

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さらに、さらにもっと私的なことを…
私もむかしむか~し『Bライ』持ってました。
『公認審判員の計時のBライ』も持っていましたので、『つくば』のタワーからウィリー・ケンさんの走りを拝見したこともありますぅ~。(たった1回ですが…)
もちろんファンです。
チビなので、モトクロッサーは、50ccのいちばん小さいマシンのあんこ抜いてサス切っても、足が届かず断念した苦い記憶が…
ということもあり、泉さんご夫妻には勝手に親近感を目いっぱい抱かせていただいてます。(←ミーハーのたわごとです、真面目に読んでくださった方すみません)


もし、『つづき』読んでくださった方がいるとしたら、長々お付き合いくださり、ありがとうございました。



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