『わが子の気持ちがわからなくなる前に読む本』
 私はAS者の妻ですが、もうひとつの別に、「子どもの母親」という立場でもあります。
 核家族ですし、自分自身が親に迷惑ばかりかけてきた子どもだったこともあり、もう少し大きくなって、もしも子どもたちが私のようになったら、とても私には育てきれない…という育児不安に、ずいぶんと悩んでいます。
 なので、パラパラと育児書をめくることもたまにはあります。(普段は自分優先なので、子どもに関しての勉強は後回しが多い…)

 で、今回一気に読んだのが、こちら。
わが子の気持ちがわからなくなる前に読む本 [ 小林絢子 ]』  学陽書房

この本から得たポイントはふたつ。
ひとつは、P128の

…… 家庭は「やすらぎの場」であると同時に、夫、妻、子どもそれぞれの自我がぶつかり合う「戦いの場」でもあります。このふたつの兼ね合いがいちばんむずかしく、いかにバランスを保つかで家庭の真価が問われます。

という部分。(これについては、またいつか記事にしたいと思います)


もうひとつは、P161の

人には「自己」と「自我」があります。「自己」とは「行為する自分」。自我とは「行為する自分を客観的に見ている自分」です。

以下、説明が続くのですが、このくだりのある『第4章「しあわせな子ども」に育てるために』を読んで、考え込んでしまいました。
読んだばかりで、正しく理解できているかどうか疑わしいですが、第一読の印象では、Qさんのようなアスペルガー者は、「自我」がない、またはあっても非常に弱い、のではないか、というものです。
P165あたりをまとめると、以下のような感じです。

「自我」の表れとは、本来の「自己」を出し始めるだけでなく、自分で自分を見つめる能力が出てくること。自分と「他人」を比べることが出来るということ。
そして、大人になるということは、「自分」が「自分」と付き合うということであり、生きている自分を別の自分が後ろから見ていて、肯定したり、批判したり、応援したりして、自分を支えてくれるもうひとりの自分をもち、自分で自分を支えて、現実に向き合い、しあわせになっていこうとする力をもつということ、すなわちそれが「自立する力」である。

Qさんをみていると、「自己」はあるけど、「自我」はないように思います。ですので、10歳くらいまでの子どもと同様、自分の「自我」と母親の「自我」が同じなまま、今に至る…という感じです。今は、その『母親』が『妻』である私にすり替わっただけ。そう考えると、Qさんの行動のかなりの部分を、説明することが出来ます。
なぜ、自分の考えが無いように見えるのか、なぜ、自分の気持ちを説明できないのか、なぜ、子育てにおいて、なにもかも私の真似っこばかりするのか…。
そんなことの謎が、この「自我」というキーワードで、解けそうな気がします。
(私の得意分野に入ってきましたが、書き出したら原稿用紙何枚分になるか見当もつかない長文になるに決まってますから、ブログには向かないなぁ。考察する時間も書く時間もないし。この話題は、ポチポチと小出しにして、考えていこうと思います。←といって、これっきりだったりして)

著者の小林 絢子先生(精神科の医師)のHPのURLが巻末に載っていたので、ご紹介しておきます。
しあわせさがしの精神科医 Dr.あやこの部屋  http://www.yumeline.com/index.html
(2005.6.18  「自己」と「自我」)


【わがままひめ 勉強中】
 「自我」と「メタ認知」とは、厳密な意味でいうと、ちょっと違うもののようです。
 また、「メタ認知」も、心理学的な用法と、学習理論の上での用法とは、微妙に異なるようです。
 「自我」もしかりで、心理学上の用法と、私が認識している哲学的な用法では、やはり微妙に意味合いが違うようなので、まず用語の定義から入らないと、話は進まないもよう。
 しかも、哲学的なアプローチでも、科学哲学系になるとまたちょっと違うみたいだし、認知学とかは、またまた別の話???
 とても一筋縄ではいきそうもないです。
 ブログの話題として、取り上げるには、無理があるかも…。
 共通認識としての、「自閉ワールドにおけるメタ認知」の定義みたいなものがあれば、教えてくださ~い。

【わがままひめ 勉強中】2
「自我の確立」とはいうが、「メタ認知の確立」とはいわない。
「借り物の自我」はあるけど、「借り物のメタ認知」ってなさそうな感じ。

 自ら確立すべきものと、獲得?するものとの違い?
 獲得するのではなく、はじめから持っていたり持っていなかったりするもの?



【別記事より抜粋】
 先日ご紹介した『わが子の気持ちがわからなくなる前に読む本 [ 小林絢子 ]』  学陽書房
を、Qさんにも薦めて、Qさんは昨日読了。
 いつもは、私のお奨め本にはあんまり反応しないのに、すごくいい本だ、わかりやすいと、大変気に入ったもよう。
 「いつも手元においておきたい本だね」
という発言まで飛び出し、びっくりの私。
だって、いつも、私の意見も聞かないけど、私以外の人の意見も、私がいいと薦める本も、認めないQさんの発言なんだもの。
おかしかったのは、この本は、おもに子育てに悩む親を対象に想定した(と思われる)本なのに、Qさんは完全に自分自身の話として受け止めているという事実。ノロリやチビひめの問題として捉えていない。本人は、それに全然気づいてない。ノロリのイジメられてるかも?関連で話をしようと読んでもらったのに、思わぬ副産物というか、たいへんラッキーな展開となった。この本には、Qさんの自己認知力を大幅に高めてもらったようだから。
反面、やっぱ子育てについて、父・母としての対等の立場で話し合ったり、ふたり協同で事(子どもの諸問題)に当たる…ということは、できないのだな、と改めて再認識させられたけど…。



わが子の気持ちがわからなくなる前に読む本 [ 小林絢子 ]
わが子の気持ちがわからなくなる前に読む本 [ 小林絢子 ]




*****
*ブログランキングに参加中*
クリック先では同じテーマのブログを探すことができます


にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村